「じゃあママ、行こう!」「ええ」 一つ深呼吸をして、わたしたち親子は壇上に上がった。わたし一人じゃなく母も一緒に会見に臨んだのは、母が会長の業務を代行することを発表するためだった。わたしの説明だけで伝わらない部分を、母の口から補足説明してもらうことになっていたのだ。『――本日この場にお集りのメディア関係者のみなさま、TV・ネットワーク上でこの会見をご覧のみなさま、初めまして。わたしが本日付をもちまして篠沢グループの会長に就任致しました篠沢絢乃でございます。これまで亡き父が行ってきたこのグループの舵取りを、まだ高校生のわたしが引き継がせて頂くことになりました』 貢が作成してくれた原稿どおりに、まずはそこまでを一息に話してから周囲の反応を窺ってみた。……案の定、記者のみなさんはわたしの制服姿にざわついていた。この会見はネットでも同時配信されていたというから、ネット上はもっとざわついていたことだろう。『わたしの服装については、これからお話します。わたしは父の遺言で後継者として指名された時から決めていたことがあります。それは、高校生活と会長職との二刀流。つまり、学業と職務との両立を遂げるということです。会長に就任するにあたり、わたしが高校を辞めてしまうことを父は決して望んでいないと思います。――父は遺言書と一緒に、この手紙を遺していました。わたし宛ての個人的な遺書です』 わたしはお守り代わりにブレザーの内ポケットに忍ばせていた封筒を取り出し、中の便箋を広げた。『ここにはこう書かれています。「お前は会長に就任するからといって、楽しい高校生活まで手放すことはない。決めるのはお前だ。いずれこの地位を重荷に感じる時が来たら、他の人間に譲るのも退任するのもお前の自由だ」と。もちろん最初から退任するつもりで後継を受け入れたわけではありませんが、残り一年余りの高校生活に見切りをつけてまで会長という地位に固執する気もありません。ただ、その選択によって業務が滞(とどこお)ってしまうようなことはあってはならないとわたしも思っています。そこで、わたしはその打開策を考えました。わたしが学校にいる間、この篠沢家の当主である母に会長の業務を代行してもらうという考えです』 そこで母が演台の前にやってきて、この考えに自分も納得していること、自分は院政を行うつもりはまったくないということを
――記者会見が終了した後、母は「これからのことについて村上さんと打ち合わせしたいから、先に上に行ってるわね」と言って、エレベーターで重役フロアーである三十四階へ上がっていった。「――あ、久保さん。司会進行お疲れさまでした!」 わたしは貢と一緒に、父の葬儀に続いてこの会見の司会を務めてくれた貢の同期に声をかけた。「会長! お疲れさまです。桐島も。わざわざどうされたんですか?」「貴方の進行がよかったおかげで、記者会見がスムーズにできました。ありがとうございました。父もよくこうして社員の頑張りを労(ねぎら)っていたそうなんで、わたしもそれに倣(なら)ってみたんです」 仕事に当たり前のことなんてないんだ、と父もよく言っていた。だから頑張った社員はちゃんと評価していたし、ミスをした社員がいたとしても厳しく叱責(しっせき)せず、必ず挽回(ばんかい)のチャンスをあげていたそうだ。願わくば、わたしもそうでありたい。「ああ、そうでしたか。――ところで、どうして広報の人間じゃなくて総務の僕が司会をやってたんだ、って思ったでしょう? 桐島、お前もそう思ったよな?」「ええ、確かに思いました。桐島さんや母と一緒に『どうしてだろうね』って不思議に思ってたんです。ね、桐島さん?」「はい。――俺は、あの課長が広報から手柄を横取りしたんじゃないかって思ったけど……。違うのか、久保?」 貢はどうやら、家族や同期、友人など親しい相手には一人称で「俺(おれ)」を使うらしい。というか、こちらが彼の地(じ)のようだ。「実は、広報にいる同期が今日の司会をやることになってたんですけど、急に体調を崩して休んでしまいましてね。それで『お前、司会は慣れてるだろ? 任せた』って本人から代打を頼まれたんです」「なるほど。じゃあ、お前が自分からしゃしゃり出てきたわけじゃないんだな?」「当たり前だろ? いくらオレが目立ちたがりだからって、こんな重要任務を『オレやりま~す!』なんて軽々しく言えるワケないじゃん。……あ、失礼しました」 彼らはつい同期のノリで話していたけれど、わたしの存在を思い出すと神妙に姿勢を正した。「なるほど。でも、貴方は確かに司会に向いているとわたしも思います。適材適所だったんじゃないかな。また何か会見をやる時は、久保さんに司会をお願いしてもいいですか?」「最高のお褒(ほ)め
「――会長、桐島は不器用だけどいいヤツですよ」「え? うん……、知ってますけど」「総務ではお人よしすぎて、上司からいいように使われてましたけど。真面目だし、仕事は丁寧だし、思い遣りもあるし。会長の秘書としても、絶対に頼りになると思います。……ですから桐島のこと、よろしくお願いします」 同期を思う久保さんの熱い言葉に、わたしも胸を打たれた。彼は友人として、新たな道を歩み始めた貢の背中を押そうとしてくれているんだと思った。「はい。彼のことはわたしにドンと任せて下さい! じゃあ失礼します。桐島さん、行こう」「ええ。――じゃあ久保、またな」 わたしも久保さんにペコリと頭を下げて、貢と一緒にエレベーターホールへ向かった。「――それにしても、久保さんって同期の人の代理だったんだね。それも個人的に頼まれたって」「ええ、僕も意外でした。課長の手柄じゃなかったなんて。でも後から揉めませんかね? 広報部と総務課」「うん……。これはもう、部署ごとに仕事を割り振るシステムを変えていかなきゃいけないかなぁ」 会長として早くも見つかった問題点。この、一人一人が自分に適性のある仕事を任せてもらえないという部署ごとの縦割りシステムは、色々なところで綻びが出ていただろうし、社員もきっと働きにくさを抱えていただろう。「桐島さんだって、入社前にはこの会社でやってみたいと思った仕事があったでしょ? 総務課に配属されたのは貴方の意志じゃないはずだよね」 わたしには、彼が最初から総務の仕事をバリバリやりたがっていたとは思えなかった。総務課は縁の下の力持ち、といえば聞こえはいいかもしれないけれど、その仕事内容はほとんど雑用だ。イベントの進行など、時々やり甲斐を感じられる大きな仕事もあるにはあるのだけど。「はい。入社前には、この会社で大好きなコーヒーに関われる仕事をやってみたいと思ってたんです。マーケティング部とか海外事業部とか、そういう部署に配属されたらいいな、って。ですが、いざ入社してみたら配属先は総務課で正直ガッカリしました。でも一度決められた配属先に異議申し立てはできないじゃないですか。だから、与えられた仕事をこなしていくしかなかったんです」
「なるほど……。バリスタになりたかったんだもんね。じゃあ今は? そっちの方面の仕事にもう未練はないの?」 もしかしたらわたしと父は、彼の夢を完全に奪ってしまったんじゃないかと良心が痛んだ。「……未練は、ないこともないですけど。秘書でしたら望んでいた形ではないですが、少しはコーヒーに関わる仕事ができるので、それはそれで僕としては満足です」「そっか。それならよかった」 彼はどうしてバリスタになる夢を諦めてしまったのか、なかなかその理由を話そうとしなかったけれど。わたしの秘書になることで、形を変えて夢に一歩近づくことができるならわたしにも喜ばしいことだった。だって彼の喜びは、彼に恋をしているわたしの喜びでもあったから。 * * * * ――会長室は重役専用フロアーである三十四階のいちばん奥にある。この階に他にあるのは社長室と小会議室、そして秘書室と給湯室で、給湯室を除く各部屋に専用の化粧室が完備されている。専務と常務の執務室は一応あるのだけれど、現在は人事部長と秘書室長が兼任しているため使用されていない。 給湯室は会長室から直接繋がっていて、これは祖父がこのビルを建てた十年前にこういう設計にしてほしいと頼み込んだらしい。 貢のIDを認証させて初めて入室した会長室は、シンプルながらも異空間のような重厚感があった。 会長のデスクと秘書のデスクにはデスクトップのPCが完備され、会長のデスクは断熱(だんねつ)・遮光(しゃこう)ペアガラスがはめ込まれた西の窓に背を向ける形で配置されている。あとは大きな本棚やキャビネット、応接スペースにはグリーンのベルベット生地を使用し対面式のソファーセットと木製のローテーブルがあるだけ。なのに、インテリアのひとつひとつに高級感が漂っているのだ。「――では、僕はコーヒーを入れて参ります。会長はデスクでお待ち下さい。お好みの味などあればおっしゃって下さいね」「うん、分かった。じゃあミルクとお砂糖たっぷりでお願い」「かしこまりました」 貢は専用通路を通って給湯室へ入っていき、わたしは暖房が効いた室内でPCを起動させて待つことにした。自分のIDと、父が設定した〈Ayano0403〉というパスワードでログインし、動画配信サイトを開いた。記者会見がネットでも同時配信されていると聞いたので、どんなコメントが来ているか確かめたかった
――就任会見の日の午後から、わたしにはさっそくメディア媒体(ばいたい)の取材申し込みが殺到した。でも貢が秘書として、わたしに負担がかからない程度に数を調整してくれたので、わたしも取材を受けることが苦痛にならずに済んだ。 新聞社、経済誌、ニュースサイトにTVの取材と媒体は様々だったけれど、わたしはそのどれにも真剣に受け答えしていた。中でもTVのニュース番組の取材では社内の様子も撮影されたので、社員のプライバシーにどこまで配慮してもらえるかが心配だったけれど、放送された内容ではキチンと顔にぼかしが入り、声も変えられていたので「これなら大丈夫だ」とプロのメディアの仕事に脱帽した。 その他にも、取引先から「新会長に挨拶したい」と詰めかけた重役の方々をもてなしたり、各部署を激励がてら視察して回ったり、様々な決裁をしたり……。会長の仕事は思っていた以上にたくさんあった。そのうえ、忌引きが明ければ学校もあって、母や貢がサポートしてくれなければわたし一人ではとても手が回らなかっただろう。「――会長、これ見て下さいよ。当分休憩時間のおやつには困りませんね」 就任一週間後には、給湯室の冷蔵庫の中が取引先から頂いたケーキやスイーツでいっぱいになっていて、わたしも貢にその光景を見せられた時には声を上げて笑ってしまった。「っていうか、一ヶ月もしたらわたし太ってるかも」 もしくは血糖値が異常に高くなっているかのどちらかだろう。……それはさておき。 通常の業務以外にも、わたしには会長としてすべきことがあった。それは社内における、決して少なくはない問題点の改革だ。とはいえリストアップは父が生前しておいてくれたので、わたしはそれに自分で気づいた問題点を付け足してやっていくだけでよかったから、それもあまり大変だとは思わなかった。 でも――、わたしにはその頃忙しくなった日常とは別にして、ある悩みがあった。それは、想いを寄せている貢との距離がなかなか縮まらないことだった。 お休みの日を除いてほぼ毎日顔を合わせ、仕事の時も行き帰りの車内でも密室に二人きりなのに、彼はわたしに対していつも一歩引いている感じだった。彼の真面目さはわたしもよく知っているし、そこに惹かれたのも事実。でも、彼の態度からしてわたしに好意をもっていたことは明らかだったんだから、わざわざそれを隠す必要なんてあったんだろ
会長室の応接スペースで向き合った〈Sコスメティックス〉の販売促進部と広報部の部長さん――どちらも三十代くらいの女性だった――が、「ぜひ絢乃会長に、春から売り出す新作ルージュのイメージキャラクターを務めてほしい」と言ってきたのだ。「そりゃあ……、わたしもおたくの商品の愛用者ですけど。コスメはもちろん、スキンケアやヘアケア、ボディケア商品まで。でもCM出演なんて……、わたし素人なのに」「弊社の商品をご愛用して下さってるんですね、会長! 感謝します。……実は、これまでイメージキャラクターを務めて下さっていたモデルの女性が、スキャンダルで降板してしまいまして。後任に誰を起用しようかと相談していた時に、TVの報道番組でお見かけした会長の清楚な感じがイメージにピッタリはまっていたので、こうして出演交渉に参った次第でございまして」「……はぁ」 揉み手せんばかりに愛想笑いを振りまく彼女たちに、わたしはタジタジになっていた。こういう時の対処法を知っていそうな貢に頼りたかったけれど、彼は給湯室へお茶を淹れに行っていてその場にいなかった。「ちなみに、このルージュの新しいキャッチコピーがですね、『キスしたくなる春色ルージュ』でして、男優さんとの共演になります。キスシーンが見どころになってまして――」「き……っ、キスシーン!?」 貢が戻ってきたタイミングでわたしは思わず声が上ずってしまい、緑茶の入った湯呑みが三つ載せられたトレーを抱えた彼に「どうかされました?」と首を傾げられた。 わたしは彼に「何でもない」と小さく首を振り、女性たちに向き合った。「あの……、何か問題でも?」「このお話、お受けしたいのはヤマヤマなんですけど。それにあたってこちらから一つ、条件を出せて頂いていいですか?」「条件……ですか? ええ、おっしゃって下さい」「キスシーンのことなんですけど、カメラの角度などで実際にしなくても、しているように見せる撮影っていうのは可能でしょうか? そうして頂けるなら、わたしもオファーをお受けします」「それは大丈夫です。では会長、よろしくお願い致します! 弊社のお願いを受け入れて下さってありがとうございます!」「いえいえ。御社も我が篠沢グループの会社ですから。わたしも会長として、愛用者としてしっかり商品の宣伝をさせて頂きます」 ――そんなわけで、わたしは〈Sコ
「――会長、引き受けてよろしかったんですか?」「ん? 引き受けちゃマズかった?」 お客さま方がお帰りになった後の応接スペースで、少し冷めたお茶を飲んでいたわたしに貢か首を傾げて訊ねた。 ちなみにわたしは猫舌で、お茶もコーヒーも少し冷めたくらいが飲みやすいのだけれど、それはさておき。 彼はわたしに断ってほしかったのかもしれない。わたしからあんな条件を出したとはいえ、相手役の小(こ)坂(さか)リョウジさんという俳優さんはたとえ演技であってもリアルなキスシーンにこだわる人で、女性関係のスキャンダルも多い人だと聞いたから。アクシデントを装って、わたしの唇を奪われる可能性がないとは言い切れなかったのだ。「いえ、マズいわけではないんですが。相手役の方が……その……。ちなみに会長、キスのご経験は?」「…………ない。実はファーストキスもまだなの」「なのにお引き受けになったんですか!?」「大丈夫だよ、桐島さん。心配しすぎ! ホントにキスしなくても、カメラワークでしてるように見せられるらしいし。わたしがファーストキスを奪われてもいい人は一人しかいないから」「それって、好きな人ということですか?」「うん。わたし、好きな人がいるの」 わたしは「貴方だよ」という意味を込めて、彼の顔を見つめたけれど。彼がわたしのメッセージに気づいたかどうかは分からなかった。 * * * * ――その夜、わたしは里歩にLINEでそのことを報告した。〈わたし、今度Sコスメの新作ルージュのCMに出ることになったの! 俳優の小坂リョウジさんと共演するらしくて、キスシーンもあるって聞いたけど。それはカメラワークで何とかしてくれるって。〉〈それ、ホントに大丈夫なの? もしかしたら、小坂リョウジにファーストキス奪われるかもしれないじゃん! アンタはそれでいいの?〉〈それはイヤだけど……、でも大丈夫! 撮影の時は、桐島さんも一緒に来てくれるから!〉 里歩が心配する気持ちも分からなくもなかった。 わたしは百五十八センチの身長にサラサラのロングヘアー、長い睫(まつ)毛(げ)と目鼻立ちのハッキリした顔、そして恵まれたプロポーションというアイドル並みのルックスで、CM共演を口実にして小坂さんから口説かれてしまうのでは、と心配していたのだろう。 わたしと貢との恋をずっと見守ってくれてい
――CM撮影が行われたのは、二月初旬の日曜日だった。「会長、おはようございます。今日はよろしくお願いします」 その日の朝、スタジオに到着したわたしとマネージャー役の貢を出迎えてくれたのは、広報担当のあの女性だった。そして、彼女の隣には撮影を担当して下さるというカメラマンの男性も立っていた。「おはようございます。こちらこそ、 今日はよろしくお願いしますね。こういう撮影は初めてなので、色々教えて頂けると助かります」「本日の撮影にはセリフがありませんので、篠沢会長は自然に動いて頂くだけで大丈夫です。後からナレーションが入る形になります」「なるほど。分かりました」 ――スタジオの控室に通されたわたしは、プロの手によってヘアメイクを施された。メイクは口紅のCMなので、唇にはリップクリームだけが塗られた。 髪型を整えられた後、用意されていた衣装に着替えて準備は完了。廊下で待たせていた貢に声をかけた。「桐島さん、準備が整ったよ。……どう?」「可愛いですよ。会長は普段から可愛い方ですけど、今日は何というか、アイドルとかモデルさんみたいです」「ありがと」 財界ではちょっとした有名人になっただけのわたしでも、化ければ化けるものだ。プロのヘアメイク、恐るべし。「僕も今日はあなたの秘書ではなく、マネージャーのつもりなので。撮影も見学させて頂きます。途中で何かあれば、遠慮なく撮影にストップをかけますからね」 彼はキスシーンの撮影に不測の事態が起きるのではないかと心配していたらしい。相手役の小坂さんが信用ならないのか、それともわたしのことを信用していなかったのか、どちらだったんだろう? ――でも、そんな彼の心配をよそに、撮影は順調に終了した。 わたしも演技は初挑戦ながら、自然に立ち振る舞うことができ、カメラマンさんや監督さんにも満足して頂けたみたいだ。 問題のキスシーンも、わたしは小坂さんと実際にキスすることなく、寸止めでどうにか収まった。のだけれど……。「あーあ、残念だったなぁ。君みたいな可愛い子となら寸止めじゃなくて、実際にキスしてみたかったな。また次の機会があれば、よろしくね」 よりにもよって、小坂さんがわたしに色目を使ってきたのだ。これには温厚な貢も不快感を露わにしていた。「申し訳ありませんが、この方は芸能人ではなく一般人ですので。そういう不謹
「貴方は出会ってから、わたしに色んなことを教えてくれたよね。パパの余命を前向きに捉えることとか、悲しい時には思いっきり泣いていいんだってこと、緊張した時のおまじない、それから」「えっ、そんなにありましたっけ?」 彼はここで驚いたけれど、わたしがいちばん伝えたい大事なことはこの先だ。「うん。……それから、恋をした時の喜びとか苦しさも、わたしは貴方から教えてもらったの。だから、この先もずっと貴方に恋をし続けていくよ」「はい。僕も同じ気持ちです。あなたに一生ついて行きます」「だから、それって花嫁のセリフだってば」 わたしはまた笑った。「――絢乃、桐島くん。式場のスタッフが呼んでるわよ。『そろそろフォトスタジオにお越し下さい』って」 控室のドアをノックする音がして、オシャレなパンツスーツを着こなした母が一人の中年男性を伴って入ってきた。「はい、今行きます! ――絢乃さん、では僕は先に行っていますね。フォトスタジオでお待ちしています」「うん、分かった。また後でね」 控室を後にする彼を振り返ったわたしは、母と一緒に立っている人物に目をみはった。 父に顔はよく似ているけれど、父より少し年上の優しそうな紳士――。「やぁ、絢乃ちゃん。久しぶりだね。結婚おめでとう」「聡一(そういち)伯父さま……」 それは、アメリカから帰国した父方の伯父、井上聡一だった。伯父にも招待状を送っていて、出席の返事はもらっていたけれど、どうして母と一緒に控室を訪ねてきたのかは分からなかった。「今日は、来てくれてありがとう。……でも、どうしてわざわざ控室まで?」「加奈子さんに頼まれたんだ。源一の代わりに、絢乃ちゃんと一緒にバージンロードを歩いてほしい、って。私は父親じゃないが、君の親族であることに変わりはないからね」「…………伯父さま、ありがとう……。パパもきっと喜んでくれてるよ……」 伯父の優しさが心に沁みて、わたしは感激のあまり泣き出してしまった。「あらあら! 絢乃、泣かないで! せっかくキレイにメイクしてもらったのに崩れちゃうわ」「うん、……そうだね。こんな顔で行ったら貢がビックリしちゃうよね」 慌てる母に、わたしは泣き笑いの顔で頷いた。 その後母に呼ばれたヘアメイク担当のスタッフさんにお化粧を直してもらい、わたしはウェディングプランナーの女性に先導され、母
彼はブルーのアスコットタイを結んでいる。これは「サムシング・ブルー」になぞらえたらしいのだけれど……。「貢……、それって新婦側の慣習じゃなかったっけ?」 わたしは婿を迎え入れる側だけれど、とりあえずこの慣習を取り入れてイヤリングと髪飾りをブルーにした。でも、新郎側がこれを取り入れるなんて聞いたことがない。「まぁ、そうなんですけどね。僕も気持ちのうえでは嫁(とつ)ぐようなものなので」「……そっかそっか。まぁいいんじゃない? 今は多様性の時代だしね」 何も古くからのしきたりに囚(とら)われることはないのだ。これがわたしたちの結婚の形、と言ってしまえばそれまでなんだから。「ところで貢、知ってた? ママがこれまで断ってきた、わたしの縁談の数」「いいえ、僕は聞いたことありませんけど。……どれくらいあったんですか?」「聞いて驚くなかれ。なんと二百九十九人だって!」「えっ、そんなにいたんですか!? 逆玉狙いの男性が」 彼はわたしの答えを聞いて、愕然となった。彼の解釈は間違っていない。「ママね、わたしが小さい頃からずっと言ってたの。『絢乃には、本心から好きになった人と幸せを掴んでほしい』って。よかったよー、貢がその中に入らなくて」「そうですね。これが絢乃さんにとって、いちばんの親孝行ですよね」「うん。わたし、貢となら絶対に幸せになれると思う。やっぱり、貴方とわたしとの出会いは運命だったんだよ。貴方に出会えて、ホントによかった」「僕も、絢乃さんに出会えてよかったです。もう二度と恋愛なんてゴメンだと思ってましたけど、そんな僕をあなたが変えて下さったんです。ありがとうございます」 こうして向かい合って、お互いに感謝の気持ちを伝え合えるってステキなことだとわたしは思う。この先もずっと、彼とはこういうステキな夫婦関係を築いていきたい。「絢乃さん、こんな僕ですが、末永くよろしくお願いします」「……何かそれ、もう完全に花嫁さんのセリフだよね」 思いっきり立場が逆転しているなぁと思うと、わたしは笑えてきた。「でも、わたしたちって最初っから一般的なオフィスラブと立場が逆転してるんだよねぇ」「……まぁ、確かにそうですよね」 貢もつられて笑った。今日みたいないいお天気の日には、笑顔での門出が似合う。梅雨の時期なのに今日は朝からよく晴れていて、絶好の結婚式日
――こうして、わたしと貢の関係は恋人同士から婚約関係となった。ちなみに、あの騒動のおかげでわたしたちの関係は世間的に公になったのだけれど、これは喜ぶべきだろうか? 真弥さんはあの日撮影した映像を、自分のアカウントでもXにアップしていて、その投稿は見る間に拡散したらしい。〈彼氏登場! いきなりハイキックとかカッコよすぎww〉〈彼氏、ヒーローすぎてヤバい〉 などなど、称賛のコメントと共に思いっきりバズっていた。 去年のクリスマスイブは彼と二人きりで過ごし、婚約指輪はそこでクリスマスプレゼントとして彼からもらった。小粒のダイヤモンドがはめ込まれたシンプルなプラチナリングで、多分価格もなかなかのものだったはず。彼の男気を感じて嬉しかった。 誕生日にもらったネックレスとともに、この指輪もわたしの一生の宝物になるだろう。 その夜は彼のアパートに泊まり、彼の小さなベッドの上で一緒に朝を迎えた。わたしの後から起きてきた彼と目を合せるのが照れ臭かったことが忘れられない。でも、それが結婚生活のリハーサルみたいに思えて、心躍ったのも確かだ。 三月の卒業式には、母と一緒に貢も出席してくれたので驚いた。母の話によれば、その日は一日会社そのものをお休みにしたんだとか。会長の新たな出発の日だから、社員一丸となってお祝いするように、と。「ママ……、何もそこまでしなくても」と呆れたのを憶えている。 四月最初の日曜日、両家顔合わせの意味も込めて我が家で食事会をした。料理は専属コックさんと母、わたしと史子さんで腕によりをかけて作り、デザートのイチゴのシフォンケーキもわたしが作った。桐島さんご一家のみなさんも「美味しい」と喜んで、テーブルの上にところ狭しと並べられた料理を平らげて下さった。 そこで、わたしと貢は驚くべき事実を知った。なんと、悠さんがお付き合いしていた女性と授かり婚をしたというのだ! 顔合わせの席にはその奥さまもお見えになっていて、お名前は栞(しおり)さんというらしい。年齢は貢の二歳上で、悠さんが店長を務められているお店の常連客だったそう。そこから恋が始まり、お二人は結ばれたというわけだった。……ただ、順番が違うんじゃないだろうかと思うのは考え方が古いのかな……。 そこから彼が我が家で同居することになり、二ヶ月が経ち――。 本日、六月吉日。愛する人と二人で選
「――絢乃さん、僕、覚悟を決めました。あなたのお婿さんになりたいです。僕と結婚して下さい。お父さまの一周忌が済んで、絢乃さんが無事に高校を卒業して、そうしたら。……で、どうでしょうか」「はい。喜んでお受けします!」 彼からの渾身のプロポーズに、わたしは喜び全開で頷いた。エンゲージリングはまだなかったけれど、気持ちのうえではもう、二人の結婚の意思は確固たるものになっていた。 思えば初めてわたしの気持ちを彼に伝えた時、子供っぽい告白になってしまった。でも今なら、彼にとっておきの五文字で想いを伝えられるだろうか。あの時から少し大人になったわたしなら……。「貢、……愛してる」「僕も愛してます、絢乃さん」 わたしたちは熱いハグの後、長いキスを交わした。「――ところで、絢乃さんは高校卒業後の進路、どうされるんですか? 僕、まだ教えて頂いてないんですけど」 帰り道、彼が器用にハンドルを切りながらわたしに訊ねた。……おいおい、今ごろかい。「わたしね、大学には進学せずに経営に専念しようと思ってるの。やっぱり好きなんだよね、会長の仕事とか会社が」「……なるほど」「ママは最初、大学に進んでもいいんじゃないか、って言ってくれたんだけど。最後には折れてくれたの。わたし、これまでよりもっともーっと会社に関わっていきたいから」「加奈子さん、絢乃さんに甘々ですもんね」「うん、まぁね。ちなみに、里歩は大学の教職課程取って、高校の体育教師目指すんだって。唯ちゃんはプロのアニメーターを志して、専門学校に進むらしいよ」 卒業後の進路はバラバラでも、わたしと里歩、唯ちゃんとの友情はこれから先も変わらない。きっと。
「――改めて、貴方には心配をおかけしました」 わたしはいつもの指定席である助手席ではなく、後部座席で彼に深々と頭を下げた。「ホントですよ。あれほど無茶なことはするなと言ったのに。ヘタをすれば、絢乃さん、アイツにケガさせられてたかもしれないんですからね?」 彼はまだご立腹のようだった。でも、それはわたしのことが本当に心配だったからにほかならない。「だーい丈夫だって。そのためにあの頼もしいお二人にも協力してもらったわけだし。いざとなったらボディーガードをしてもらうつもりで――。まあ、結局は貴方に助けられたわけだけど」「イヤです」「…………は?」 彼に唐突に話を遮られ、わたしはポカンとなった。「イヤ」って何が?「あなたが他の人に守られるなんて、僕はイヤなんです。あなたを守るのは僕じゃないとダメなんです。……すみません、ダダっ子みたいなことを言って」「ううん、別にいいよ。貴方の気持ち、すごく嬉しいから」 むしろ、ダダっ子みたいな貴方が可愛くて愛おしくて仕方がないんだよ、とわたしは目を細めた。「でも、今日ほどわたしは貴方に守られてるんだなって思ったことはなかったかも。ホントにありがと」 わたしはいつも、自分が彼を守っているんだと思っていた。でも、時々こうやって自分を顧(かえり)みずに無茶なことをしでかすわたしを助けてくれているのは貢だった。それは秘書としても、彼氏としても。「わたし、いつもこうやって貴方のことを助けてるつもりでも、結局のところは貴方に助けられてるんだね」 父の病気が分かってショックを受けた時、父が亡くなった時、親族から心ない罵声を浴びせられた時。それから会長に就任した時もそうだった。彼はいつもさりげなく、わたしの心の支えとなってくれていたのだ。彼の優しくて温かい言葉に、わたしはどれだけ救われてきたか分からない。「今ごろ気づかれたんですか? 僕の大切さが」「……うん、ごめん。でもありがと」「それにしても、僕を守るなら他に方法くらいあったでしょう? あえて僕と離れて、中傷の目を遠ざけるとか」「それは、わたしがイヤだったの。たとえ貴方を守るためでも、貴方と離れるなんてダメだと思った。だったら、一緒にいながら貴方を守る方法を取った方がいい、って。……まぁ、その分お金はかかったし、ちょっと危ない橋も渡っちゃったけど」 傍から見れば
――作戦は無事成功したものの、わたしは何だかワケが分からなかった。わたしもまたドッキリにかけられたような気持ち、というのか……。「……どうして貢がここに? 打ち合わせでは、あの場で登場するのは内田さんだったはずじゃ」「ああ、内田さんから連絡を頂いたんです。今日、絢乃さんが危ない目に遭うかもしれないから、新宿駅前に来てほしい、って」「相手が激昂してる時に、見ず知らずの男が現れたら事態が余計に悪化するかもしれないと思ってな。ここは格闘技を習得した彼氏に花を持たせてやった方がいいかな、って」「内田さん、そういうことは事前に教えておいてくれないと。わたしをドッキリにかけてどうするんですか!」 そういう問題じゃない気もしたけれど、わたしはとにかく一言抗議しないと気が済まなかった。「悪い悪い。でも、桐島さんが間に合ったんだからよかったじゃん」「そうですよ! 僕が間に合ったからよかったですけど、下手したら絢乃さん、本当に危ないところだったんですからね!?」 彼が怒っているのは、わたしのことを本気で心配してくれていたからだ。だからわたしは叱られているのに嬉しかったし、自分の無謀な行動を猛省した。「……ごめんなさい」「でも、無事でよかった……。本当によかった」 彼は深いため息をつくと、ここが公衆の面前だということもお構いなしにわたしをギュッと抱きしめた。「ちょっ……、貢……?」 彼はわたしを抱きしめたまま震えていた。泣いてはいないようだったけれど、それだけでわたしへの心配がどれくらいのものだったかが伝わってきた。 わたしは彼の背中に手を回し、そっと背中をさすった。父の葬儀の日、泣けなかったわたしに彼がそうしてくれたように。「ごめんね、貢。心配かけちゃって、ホントにごめん。……でも、心配してくれてありがと。もっと他に方法はあったはずなのにね。わたし、これくらいの方法しか思いつかなくて」 路上で抱き合っていると、周りが何だかザワザワと騒がしくなってきた。「……とりあえず、クルマに乗って下さい。話はそれからです」「そう……だね」 これ以上のイチャイチャは人目が気になるので、わたしたちは彼のレクサスへと移動することにした。「じゃあ、あたしたちもこれで撤収しまーす♪ あとはお二人でどうぞ♪」「絢乃さん、オレたちこれで五十万円分の働きはしたよな?」
何が起きたのか分からずパニックになっていたわたしを庇うように立ちはだかり、小坂さんにハイキックを一発お見舞いした。「ハイキック、初めて当たった……」 「…………!? な……っ」 一瞬で吹っ飛ばされた小坂さんは、この状況が吞み込めないらしかった。 わたしも呆然となっている場合じゃなかったと気を取り直し、強気な顔に戻った。「真弥さん、今の撮れた?」「はいは~い♪ もうバッチリ」 わたしが目配せすると、建物の陰からスマホを構えた真弥さんと、その後ろに控えていた内田さんが姿を現した。「アンタの裏アカ、あたしが乗っ取っちゃいました☆ 今ねぇ、この様子の一部始終が全国のアンタのファンに垂れ流されてんの。これでアンタ、俳優としても終わったねぇ。はい、ご愁傷さま」「小坂さん、貴方はこれまでにどれだけの女性を弄んで傷つけてきたんですか。女性だけじゃない。わたしの大切な人まで晒しものにした! 貴方、人の気持ちを何だと思ってるんですか! わたし、貴方のことを絶対に許しませんから!」「あんた、どうせ逆玉狙って絢乃さんとお近づきになりたかっただけでしょ? もうバレバレ。甘いんだよ、その考えが」 せせら笑うようにそう言って、真弥さんが腰を抜かしている小坂さんを見下ろした。「わたしは正式に、貴方を名誉毀(き)損(そん)で訴えます。顧問弁護士にはもう、訴訟を起こす準備を整えてもらってるので。ちなみに貴方、事務所をクビになってて後ろ盾はなくなったんですよね? というわけで、訴える相手は貴方個人です。覚悟しておいて」 わたしは次の一言で、彼に完全にトドメを刺した。「この件で、貴方は完全に社会から抹殺されるでしょうね。ご愁傷さま。女をなめるのもいい加減にして!」 この後パトカーが到着し、小坂さんは警察へ連行されていった。前もって内田さんが通報していたのだ。 こうしてイケメン俳優への反撃作戦は幕を下ろしたのだった。
「わたしの親友が貴方のファンなんです。五月に豊洲で主演映画の舞台挨拶なさってたでしょう? 彼女、部活があったから行けなくて残念~って言ってました」 これも真赤なウソっぱちだ。里歩はその頃とっくに彼のファンを辞めていたので、行きたがるわけがないのだ。「へぇ、そうなんだ? 嬉しいなぁ」「豊洲っていえば、ちょうどあの日、わたしもあのショッピングモールにいたんですよ。彼氏と二人で。偶然ですねー」 わたしは彼が気をよくした手ごたえを得ながら、ちょっと強気にカマをかけてみた。「へ、へぇー……。すごい偶然だねぇ。っていうか君、彼氏いるんだ? もしかして、撮影の時に一緒にいたあの男?」 彼は平然を装っていたけれど、明らかに動揺していた。わたしはこんな言葉使わないけれど、里歩や真弥さんなら「ざまぁ」と言うところだろう。「ええ。八歳年上の二十六歳で、わたしの秘書をしてくれてます。お金持ちの御曹司っていうわけじゃないですけど、すごく優しくて頼りになるステキな人です。実はわたしたち、結婚も考えてて。でも彼は決して逆玉狙いなんかじゃなくて、わたしのことを本気で大事に想ってくれてる人なんですよ。わたしも彼のこと、すごく大切に想ってます」「へぇ…………。じゃあ、なんで君は今日、俺を誘ってくれたの? そんな挑発的なカッコして、コロンの匂いまでさせて。……もしかして、俺を誘惑しようとしてる? 彼氏から俺に乗りかえるつもりとか」 この人、どこまで自分大好きなんだろう? きっと今までも、こうやってどんなことも自分に都合のいいようにしか考えてこなかったんだろう。「まさか」 わたしは鼻で笑い、彼をどん底に突き落とす宣告をした。「貴方が、その大事な彼を貶めるようなことをしたから、反撃しに来たんです。貴方が裏アカまで作って、彼に嫌がらせをしてきたから。わたしが分からないとでも?」「……っ、このアマ……」「ちゃんと調べはついてるんですよ。だからわたし、逆にそのアカウントを利用しようって考えたんです。貴方の本性を、ファンのみなさんにさらけ出すために。こうやって誘い出せば、プレイボーイの貴方のことだから食いついてくれるだろうと思って。でもまさか、こんなにホイホイ誘いに乗ってくるなんて思わなかった!」 ここまで上手く引っかかってくれるなんて思っていなかったので、わたしは笑いが止まらなくな
――わたしと〈U&Hリサーチ〉の二人で決めた作戦は、小坂リョウジさんの裏アカウントにDMを送り、真弥さんがそのアカウントをハッキング。彼をウソの誘い文句でおびき寄せて二人で会っているところを真弥さんに乗っ取った彼の裏アカでライブ配信してもらい、彼が本性を現したところでそのことを彼に暴露するというもの。よくTVのバラエティーでやっているドッキリ企画に近いかもしれない。 万が一のことを考えて、わたしは内田さんと真弥さんと連絡先と名刺を交換した。貢の携帯番号も教え、わたしの身に危険が迫った時には最終手段として彼に知らせてほしい、と内田さんにお願いした。 この作戦については話していないけど、調査については貢にも伝えてあった。調査料金として五十万円を支払ったことには、「そんな大金を払ったんですか!? 絢乃さん、金銭感覚バグってるでしょう絶対!」と呆れられた。わたし自身もそう思うけれど、彼を守るためなら一億円出したっていい。彼の存在は、決してお金には代えられないから。 顧問弁護士である唯ちゃんのお父さまにも、小坂さんを訴える準備をして頂いた。真弥さんにもらった調査内容はその証拠としてお預けした。ただ、正規ではない手段で手に入れた情報なので証拠能力がどうなのかは分からないけれど……。 ――そして、作戦決行の日が来た。 その日は土曜日で、貢には前もって「ちょっと用事があるから」とデートの予定を外してもらった。 内田さんの事務所を訪れてから決行日までの数日間、わたしの様子がおかしかったことは彼も気づいていたかもしれない。もしかしたら彼は、わたしの浮気を疑っていたかもしれないけれど、その心配なら皆無だ。内田さんには真弥さんという可愛い恋人がいるわけだし、わたしには貢しかいないのだ。 SNSでの誹謗中傷は、もうこのネタが飽きられていたのかパッタリ止んだ。その代わり、真弥さんが調べてくれた小坂さんのある情報が、Xで拡散されていった。彼はお付き合いしていた女性と破局するたびに、リベンジポルノを仕掛けていたらしいのだ。――これもまた、三人で練った作戦の一部だった。 普段よりちょっと露出度高めの服装をして、わたしは新宿駅前でターゲットを待ち構えた。少し離れた場所では、自撮りするフリをしてアウトカメラでスマホを構えた真弥さんと内田さんも待機していた。「――CM撮影の時以来かな